カノンの韓国地方便り。  

慶尚北道、大邱を中心に韓国の地方あちこちを行ったりきたり。

南原(ナムウォン):南原路地裏の風景

南原(ナムウォン)@路地裏散策をする。

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こんにちは、カノンです。

路地裏は好きです。

たぶん随分昔から好きでしたが、

路地裏好きだなあ、と実感したのは

中国にいた頃です。

 

特に北京の胡同(フートン)とよばれる

路地裏(北京市旧城内をめぐる細い路地のこと)

が大好きでした。胡同を歩いていると、自分だけが

カラーで浮き上がってしまっているような、

妙になじみ切れない感覚がありました。

なじみ切れないというのは、つまり、

胡同の中に漂う昔から変わらない空気感とか、

そこで生活する人たちの素朴な生活感。時が止まって

しまっているような光景があり、それがまるでセピア色。

だから、自分なんかが歩いていると、それだけでもう

景観破壊をしているような気になってくる。

つまり馴染めてない。

 

 

 

まあ、私はただ、なんとなく好きなだけなの

だけれど、それでも

道を歩いていて、細い路地を見つけると

”その先にある何か”が気になって、ふらふらと

入っていってしまう。

 

よく同行者には、

「ちょっとちょっとどこ行っちゃうのよ!」

と引き止められます。

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南原の路地裏もかなりインパクトが

ありました。いわゆる中心街なるものの規模

が小さいことや、市民の高齢化、

いまいち町おこしができていないこと

など、たぶん要因はいろいろあるのでしょうが、

町の中核となる場所に、それは静かで無人

路地裏がかなりある。

(私的にはそういうのが魅力にも感じます。)

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歩きながら、もっと昔、60年代とか70年代あたりの

町の様子を見て見てみたいな、と。

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例えばソウルの路地裏とか、大邱の路地裏を歩いていても

さほど大袈裟にタイムトリップ的な感覚には陥らない。

でも、南原はなんというか……胡同のそれとも

違う。ただなんか歩いていると、現実の世界を

歩いていないような錯覚に陥る。

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もちろんそんな気分になるのは何故か、分かっては

いるんだけど、書くのはどうも憚られます。

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兎にも角にも魅力あり。

できるならどこまでも歩いてみたい。

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南原路地裏散策でした。